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身近な目標をめざして明るく歩いていく


 『誠一ときたら、高校にも入れない成績だと先生からいわれて……。お母さんは情けなくて悲しくて、生きた心地しませんよ。どうするのよ、これから……』

山田誠一君は、サッカーに夢中なのだ。先生が少しおどかすつもりで、『高校は無理だ』といったのが、逆効果となり、『それなら高校なんか行かないよ』と、誠一君の心を閉じさせてしまったのだ。叔父の山田健太郎さんが、誠一君の心を開く。

『誠一、お前はサッカーの名手だ。身体は人一倍丈夫だ。高校へ行かなくても、叔父さんが必ず整備士の資格を取らせてやる。工場も将来、誠一に全部譲る。学校だけが人生じゃない。学校が何だよ』

誠一君はすねていたのが恥ずかしくなる。叔父さんの整備工場で油まみれで働きだした。叔父さんも約束通り仕事を教えてくれる。『誠一はオレの跡とりたぞ』と誰にもいう。整備士の資格もとり、大型も、特種の免許もとって、誠一君は元気に働いている。そのうえ、サッカーチームをつくってオーナーになっている。

 絶望してひねくれていては何も生まれてこない。目の前に具体的に手のとどきそうな目標を示して、そこへ引っぱていかなくては、善の方向へ人々をむけられない。拒んでいるかぎり、真実を生きることは難しい。

赤根祥道氏の著書より抜粋

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『間違いを認める・萩本欽一』
 

高校時代は、新聞配達のほかにも

色々なアルバイトをやった。

 

西銀座のデパートで、窓と床とお便所を

きれいにして、1日340円。

 

封筒のあて名書きをやって、1日240円。

錆び付いた鉄板を磨く仕事が、一番高くて

1日400円。

 

賄いを目当てに

飲食店の出前のバイトもやった。

 

ある日、自転車に乗って出前をして

店に帰る途中

新宿の交差点で信号待ちしていたらさ

 

「おまえ、何しやがんだ!」って

おじさんが顔を真っ赤にして

ボクに近づいてきたんだよ。

「何って、なんですか?」

「なんですかじゃねえだろう。

ココを見てみろ!」

 

おじさんの車に横線が入っていたの。

 

ピッカピカの新車に長いひっかき傷が1本。

 

ボクが知らないうちに

自転車の荷台に載っている

アルミ箱の角かなんかで

ひっかいちゃったみたいで・・・・。

 

「お前が働いている店はどこだ。

店の名前を言え!」

 

「言わないよ。ボク」

「言わないじゃないだろう、言えよ!

すぐに店に連絡しろ!」

 

店、店の名前って言うから

ボクは言ったんだ。

 

「おじさん、ボクはアルバイトなの。

1日230円。

 

店のオジさん、いい人だから

ボクのかわりに払ってくれると思うけど

小さな店だし、そんな大金払ったら

大変なことになっちゃうよ。

 

おカミサン、泣いちゃうよ。

 

だから、お店の名前はいえない」

 

「おまえのウチは?」

「ウチにお金がないから

アルバイトをしてるの。

 

おじさん、むちゃなこと言わないでよ。

 

ウチの親から取ろうとしてるんでしょ。

 

親が困らないように

ボクがアルバイトしてるのに」

 

インチキはダメだ。

 

絶対に逃げないぞ、とボクは思った。

 

「おじさん

ボクをおじさんの会社まで連れて行って

その分だけ、働かせるのが

一番いい方法だと思うんだよ。

 

どれだけでも働くから。

 

おじさんの車のあとを自転車で

追いかけてついて行くからさ」

 

そしたらさ、おじさんが急に。

 

「君の言っていることが正しいな。

ボクの言っていることが間違ってた」

って。

 

「オレも君みたいにアルバイトして

頑張った頃があって、今

車を買えるようになったんだ。

 

そのことを思い出した。

 

学校を卒業したら、オレの会社においで。

ごめんな…。」

 

おじさん、涙をためて「さようなら」って

名刺を1枚残して去って行ったの。

 

ボク、叔父さんの背中を見ながら

泣いたよ。

 

ボロボロ泣いたよ。

 

ところがさ

ボク貰った名刺をなくしちゃって。

 

いつか恩返ししょうと思ってたのに

なくしちゃって。

 

オレって、どう言う人間なのだろうかと

自分を疑っちゃったよ。

 

それでテレビに出られるようになってから

いろんな番組でその話をして

活字でも言い続けたんだけど

おじさんからの連絡はなし。

 

昭和62年になって

ボクがテレビをやめようとしたときになって

やっと手紙が来たんだ。

 

「テレビや雑誌であなたが

私のことを言ってくれていることは

知っていました。

 

でも、あなたが懸命に働いている時に

名乗り出るのはイヤでした。

 

あなたがお休みすると聞いたので

手紙を書きました。

 

ゆっくり休んでください」

 

すっごいでっかい会社の社長さんだった。

 

「ボクが間違っていた」

と言える人ってカッコいい。

 

そういうカッコいい人って

社長になっちゃうんだよね。

 

~萩本欽一~

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私たちは批難したくなるような人たちと
つきあっていかなければ、
ならないことが多くあります。
.
うまくやって行くために
自制もしなければならない。
その試練を通して、
自分の心が刺激されて、
私たちは心が成長するのです。
.
悪意で人を批難してはいけません。
人を批難したいという強い衝動を
持つ者を信用してもいけません。
.
なぜなら、
私たちにとって
もっとも人間として大切なのは、
誰かを攻撃したり、
恥ずかしめたり、
しないことです。
本当の幸福を満喫するには、
人を思いやり愛する時間を
大切にしなければなりません。
.
「他人の過失を探し求め、
つねに怒りたける人は、
煩悩の汚れが増大する。
かれは煩悩の汚れの消滅から
遠く隔っている。」
-仏陀の言葉より-

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⭐︎このお話は「輝く未来ビトより転載」 させていただいています。

「母の無償の愛を感じて...」
 
かならず別れのときがやってくる!
愛している人に愛していると
ちゃんと伝えよう!
 
 
 
【 母の無償の愛を感じて... 】
 
 
人生で起こることは
 
何か大切なことを気づかせて
 
くれるために起こるようです
 
 
 
桜が舞う季節のことでした
 
 
 
病院主催のお花見会に参加するため
 
病室から小さくなった母を車椅子に
 
乗せて近くの神社に足を運びました
 
 
 
母は34歳のときに
 
難病のベージェット病が発症
 
 
 
母がずっとつけていた日記には
 
ほとんど毎日のように微熱や頭痛が
 
あると書かれていました
 
 
 
私は妹と一緒にその日記を見ると
 
 
「 無理をすると発症するから 」
 
 と医者には言われていることも
 
 記されていました
 
 
 
子供たち二人が学校から
 
帰ってきたら
 
お腹を空かさないよう
 
いつもお菓子が買ってありました
 
 
 
お菓子はいつも妹と半分にして
 
分けて食べていました
 
 
 
看護婦をしていた母にとって
 
毎日のようにお菓子を買っておくこと
 
だけでも大変だったはずです
 
 
 
母は病気のため
 
身体がだんだんと
 
動かなくなっていきました
 
 
 
やがて身体に必要な栄養は、
 
毎日3度の点滴で補うように
 
なっていました
 
 
 
幼い頃に大火傷を負い
 
頭皮に後遺症が残った
 
母のこれまでの人生はきっと
 
辛かったことのほうが多かったはず
 
 
 
それでも
 
人を傷つけることは
 
決して言いませんでした
 
 
 
誰に対しても優しかったのは
 
人の痛みがよくわかったから
 
なのかもしれません
 
 
 
母の病気が進行するにしたがい
 
身体の自由が利かなくなった
 
 
 
母の身の回りの
 
お世話をすることが
 
多くなりましたが
 
 
 
そのうち
 
母を幼い子供のように
 
接するようになっていました
 
 
 
お花見会では
 
看護師さんたちが
 
桜が舞うポカポカ陽気の中
 
おでんをふるまってくれていました
 
 
 
「おでんが欲しい?」
 
 と聞くと 食べたいという
 
 
 
久しぶりに人間らしく
 
口から「おでん」を食べさせて
 
あげられることに嬉しさを感じました
 
 
 
おでんを小さく小さく刻んで
 
スプーンの上にのせ
 
口元に運びます
 
 
 
「 おいしい 」
 
 
母が本当に美味しそうに食べ
 
嬉しそうな表情をするので
 
自分も本当に嬉しくなり
 
嬉しくて 嬉しくて
 
涙がにじんできました
 
 
 
口元にスプーンでおでんを運ぶとき
 
母が自分が赤ちゃんのときに
 
今の自分が母に「おでん」を
 
運ぶのと同じようにスプーンで
 
口元に運んでいたときの映像が
 
入ってきました
 
 
 
それと同時に
 
子を思う母の愛情が
 
ポンと心に入ってきました
 
 
 
時を越えて...
 
母の愛を受け取った瞬間でした
 
 
 
そこには
 
愛しかありませんでした
 
 
 
子が存在しているだけで
 
愛おしく感じる心
 
 
 
自分のすべてを注ぎ込む
 
愛情がそこにはありました
 
 
 
母の無償の愛を感じて
 
泣き崩れました
 
 
 
おでんをのせたスプーンを
 
口元に運びながら
 
無理に微笑もうとすると
 
余計に涙が溢れます
 
 
 
こんなにも愛されていたんだ
 
と思うと涙が止まりませんでした
 
 
 
もっと親孝行すればよかった
 
もっと作ってくれた料理を
 
おいしいって言って
 
あげればよかった
 
 
 
それなのに
 
こんなにもこんなにも
 
愛されていたんだ
 
 
 
そう思うと涙があふれて
 
止まりませんでした
 
 
 
「こんなに...こん..な.に..
 
 素晴らしい...行事をしてくださり
 
 本当に..ありがとうございました..」
 
 
 
感謝の手紙を
 
院長先生宛に出しました
 
 
 
心から接してくれる
 
看護師さんたちを
 
院長先生に褒めていただき
 
たかったのです
 
 
 
それ以降
 
母は友人から
 
呼ばれていたように
 
看護師さん達からは
 
 
「あっこさん」
 
と呼ばれるようになっていました
 
 
 
 
母の最期の友人たちでした
 
 
『 人には優しくしよう 』
 
これが 母から学んだことです
 
 
 
それから数年後
 
最愛の妹にガンが見つかった
 
 
 
聞いたとき
 
目の前が真っ暗になりました
 
 
 
目を開けているのに
 
何も見えませんでした
 
 
 
祖父母 両親をすでに
 
亡くしている自分にとって
 
 
たった一人で
 
この世に残されるような
 
虚無感を感じたのです
 
 
 
全く現実を
 
受け入れられませんでした
 
 
 
手術は成功しました
 
 
 
いまは 再発の可能性がなくなる
 
5年が無事に過ぎればと思っています
 
 
 
心の底から気がついたことがあります
 
 
 
それは人生で一番大切なことは
 
 
 
「一番大切なことを
 
 一番大切にすること」
 
 
 
好かれていない人の
 
ご機嫌を取るより
 
自分を愛してくれている人
 
のために「時間」をもっと使おう
 
 
 
でっかいことを
 
しようとするよりも
 
 
いつも見守ってくれている人が
 
喜ぶことをするために
 
「時間」をもっと使おう
 
 
 
「ありがとう」
 
「ごめんなさい」が
 
ちゃんと言える人になろう
 
 
 
人に迷惑だけは
 
かけない人生にしよう
 
 
 
嬉しいときには
 
嬉しいとちゃんと伝えよう
 
 
 
愛している人に
 
愛しているとちゃんと伝えよう
 
 
 
人生で一番大切なことだから
 
親が子供に一番最初に教える
 
ことなんだと心に落ちます
 
 
 
出典:「輝く未来ビトより転載」 
 
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【招待状】

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず、いつからかその少年を毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。

他の子に違いない。先生はそう思った。

二年生になると

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

(思わず涙する感動秘話より) 

 
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