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カギセンター片平の日常と、お役に立つ情報をお伝えしていきたいと思います。 ホームページもリニューアルしました。 是非、のぞいて見てくださいね!

タグ:学校

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小学校の現場に入らせていただきました。

廊下で作業をしていると時々「何やってるんですか?」と子供達が話しかけて来てくれます。

あまり近くに寄って来られると危ないといけないので、こちらも道具などに気をつけながら「今ね、サッシ工事をしているの」と短く返事をしたりします。

男の子などは道具や作業の様子を興味深そうに見ています。

そんな中で、廊下を通り過ぎていく子供達が口々に

「こんにちは!」
「ありがとうございます!」

中には

「頑張ってください!」
って激励?してくれる子も😁

仕事をさせていただきながら、気持ちのよい挨拶はとてもうれしく思いました。

子供達が快適な学校生活を送れますように!と思いながら精一杯作業させていただきました😃

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魂


小林正観さんのお話から…


魂の特性を見抜いてあげる、魂の話、子育て、教育のお話です。


きれいな魂の状態を泥汚れにしているのは、

 

競うこと。

較べること。

争うという事です。

 

きれいな魂のままであるためには、今のありのままでいい という事です。


それは 学校教育では出来ません。


競う 

較べる 

順番をつけることを

 

学校教育のシステムとして成立させてきたからです。

ところが日本の教育は、本来違うものだったんです。


それは「寺子屋教育」と呼ばれていました。



寺の境内で遊んでいる子どもは 寺子と呼ばれ、その子達に読み書きを教えたところから始まりました。


寺子屋では 一切順位付けはしません。

読み書き そろばん 社会に出た時に文字が書けて読める。

 

そろばんで足し算、引き算。それらができるようにそれを教え込んだのが寺子屋でした。


そこで順位をつけることは一切しませんでした。寺子屋教育こそ教育の本質です。


吉田松陰の松下村塾が教え込んでいたことは順位付けすることではなく、「見抜いてあげる」ことでした。


松陰先生は

「あなたは こういうほうがいいのではないか。こういうジャンルが向いているのではないか。」


「あなたは こういう分野で 優れているので、その道で身を立てたらどうか」と

教えてあげていました。


塾生に対し順位をつけることなど一切しませんでした。


でも西洋教育は違うんですね。順位付けをする。


その結果 その順位を競わせるということになりました。


その教育を日本が受け入れ、「富国強兵」 国を富まして兵を強くする という方向に向かって行きました。

 

確かに一時は、そうなっていったので、その教育が 一番正しいと 思い込んだのです。


ですが、それは違います。

 

本当は優しさ、心の温かさとかいうものを評価する世の中のほうが良いわけでしょう。


でも現代社会においては、そういうものが評価されずに魂が濁っているわけですよ。


競うこと 較べること 争うことで、魂が泥汚れになっているわけですよ。


それがある日突然、泥が払われることがある。


景色の美しさに驚く瞬間。雪の結晶の美しさに気づく瞬間。


その瞬間とは、魂の泥が 一瞬にして払い落とされた瞬間です。


競う。

較べる。

争うことを全部やめ、

 

ただ自分が必要とされるところでニコニコと生きていく だけでいい。


それが何番目であるかなど関係ありません。

母親自身がその事に気付き、変わっていけば、子どもはどんどん変わっていくでしょう。


本当に綺麗な魂に、きっと戻っていきます。

 

その時、子どもは言うことでしょう。

お花がこんなにきれい。海はこんなにきれいだったの?


わ~今日の空は すごくきれい。

魂はもともと完全で綺麗なクリスタルです。


磨くのではありません。泥汚れを落とせばよいだけです。



自分の内側の

競う心 

較べる心 

争う心を

 

ゼロにすること。それだけで魂はもとのきれいな状態になっていきます。



…どの子供も人と競わせる前(幼児期)には、大人もびっくりするような感性で物事を考えていますよね。その気持ちを持ち続けられるような子育てができる世の中だといいですね!

 

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今日はある若い先生のお話です。


ある学校で若い先生が校長先生にこんなことを言われたそうです。

「君のクラスの生徒一人一人の長所を教えてくれないか?」

その先生は、生徒の名前は覚えていましたが長所はなかなか言えませんでした。

「では、短所は?」

と聞かれるとスラスラ答えることができといいます。

校長先生は、
「行動が遅いのは落ち着いているとは言えまいか。あわてものは機敏な子とは言えまいか。欠点、短所にだけ目を向けるのでなく、お互いの長所、美点を見るように努めようではないか」
と、その先生に仰ったそうです。

その先生も教育とは無限の可能性を引き出すこと…言葉ではわかっていたつもりでしたが、自分の思い上がりに気がついたといいます。

どんな心(視点)で子供達を見ていくことが大切かということですね。

自分のものさしで、この子は行動が遅い、この子は慌て者…この子は…この子は…とマイナスのイメージで決めてしまうのは何か違う気がしますよね。
遅い子がいても、慌て者がいても個性だからいいと思います。仮にそのことが周りに欠点だと思われても、それと同じくらい?それ以上の長所を誰でも持っていると思うんです。

世の中のには、長所だけの人もいないし、短所だけの人もいない。
みんなが両方を合わせ持っているんだと私は思っています。

自分が周りの人を見るときに、相手の長所を見る目を持っているか、短所を見る目を持っているかの違いだと思います。
自分がどういう目を持って見ているか、どういう器で相手を判断しているか?だと思います。

特に子供に対してはマイナスのイメージで決めてしまわないように、いいところを伸ばしていくことができるように見ていくことが、子供の持っている可能性を伸ばすことにつながると思います。


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