カギセンター片平のつぶやき☆鹿児島でカギのことならお任せください!!

カギセンター片平の日常と、お役に立つ情報をお伝えしていきたいと思います。 ホームページもリニューアルしました。 是非、のぞいて見てくださいね!

タグ:リフォーム

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB



74FC9A97-4619-4E8B-A9DA-975EE879F1AD


身近な目標をめざして明るく歩いていく


 『誠一ときたら、高校にも入れない成績だと先生からいわれて……。お母さんは情けなくて悲しくて、生きた心地しませんよ。どうするのよ、これから……』

山田誠一君は、サッカーに夢中なのだ。先生が少しおどかすつもりで、『高校は無理だ』といったのが、逆効果となり、『それなら高校なんか行かないよ』と、誠一君の心を閉じさせてしまったのだ。叔父の山田健太郎さんが、誠一君の心を開く。

『誠一、お前はサッカーの名手だ。身体は人一倍丈夫だ。高校へ行かなくても、叔父さんが必ず整備士の資格を取らせてやる。工場も将来、誠一に全部譲る。学校だけが人生じゃない。学校が何だよ』

誠一君はすねていたのが恥ずかしくなる。叔父さんの整備工場で油まみれで働きだした。叔父さんも約束通り仕事を教えてくれる。『誠一はオレの跡とりたぞ』と誰にもいう。整備士の資格もとり、大型も、特種の免許もとって、誠一君は元気に働いている。そのうえ、サッカーチームをつくってオーナーになっている。

 絶望してひねくれていては何も生まれてこない。目の前に具体的に手のとどきそうな目標を示して、そこへ引っぱていかなくては、善の方向へ人々をむけられない。拒んでいるかぎり、真実を生きることは難しい。

赤根祥道氏の著書より抜粋

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB
 


32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB


B452F7A2-A556-4624-9E71-063813F25610


『間違いを認める・萩本欽一』
 

高校時代は、新聞配達のほかにも

色々なアルバイトをやった。

 

西銀座のデパートで、窓と床とお便所を

きれいにして、1日340円。

 

封筒のあて名書きをやって、1日240円。

錆び付いた鉄板を磨く仕事が、一番高くて

1日400円。

 

賄いを目当てに

飲食店の出前のバイトもやった。

 

ある日、自転車に乗って出前をして

店に帰る途中

新宿の交差点で信号待ちしていたらさ

 

「おまえ、何しやがんだ!」って

おじさんが顔を真っ赤にして

ボクに近づいてきたんだよ。

「何って、なんですか?」

「なんですかじゃねえだろう。

ココを見てみろ!」

 

おじさんの車に横線が入っていたの。

 

ピッカピカの新車に長いひっかき傷が1本。

 

ボクが知らないうちに

自転車の荷台に載っている

アルミ箱の角かなんかで

ひっかいちゃったみたいで・・・・。

 

「お前が働いている店はどこだ。

店の名前を言え!」

 

「言わないよ。ボク」

「言わないじゃないだろう、言えよ!

すぐに店に連絡しろ!」

 

店、店の名前って言うから

ボクは言ったんだ。

 

「おじさん、ボクはアルバイトなの。

1日230円。

 

店のオジさん、いい人だから

ボクのかわりに払ってくれると思うけど

小さな店だし、そんな大金払ったら

大変なことになっちゃうよ。

 

おカミサン、泣いちゃうよ。

 

だから、お店の名前はいえない」

 

「おまえのウチは?」

「ウチにお金がないから

アルバイトをしてるの。

 

おじさん、むちゃなこと言わないでよ。

 

ウチの親から取ろうとしてるんでしょ。

 

親が困らないように

ボクがアルバイトしてるのに」

 

インチキはダメだ。

 

絶対に逃げないぞ、とボクは思った。

 

「おじさん

ボクをおじさんの会社まで連れて行って

その分だけ、働かせるのが

一番いい方法だと思うんだよ。

 

どれだけでも働くから。

 

おじさんの車のあとを自転車で

追いかけてついて行くからさ」

 

そしたらさ、おじさんが急に。

 

「君の言っていることが正しいな。

ボクの言っていることが間違ってた」

って。

 

「オレも君みたいにアルバイトして

頑張った頃があって、今

車を買えるようになったんだ。

 

そのことを思い出した。

 

学校を卒業したら、オレの会社においで。

ごめんな…。」

 

おじさん、涙をためて「さようなら」って

名刺を1枚残して去って行ったの。

 

ボク、叔父さんの背中を見ながら

泣いたよ。

 

ボロボロ泣いたよ。

 

ところがさ

ボク貰った名刺をなくしちゃって。

 

いつか恩返ししょうと思ってたのに

なくしちゃって。

 

オレって、どう言う人間なのだろうかと

自分を疑っちゃったよ。

 

それでテレビに出られるようになってから

いろんな番組でその話をして

活字でも言い続けたんだけど

おじさんからの連絡はなし。

 

昭和62年になって

ボクがテレビをやめようとしたときになって

やっと手紙が来たんだ。

 

「テレビや雑誌であなたが

私のことを言ってくれていることは

知っていました。

 

でも、あなたが懸命に働いている時に

名乗り出るのはイヤでした。

 

あなたがお休みすると聞いたので

手紙を書きました。

 

ゆっくり休んでください」

 

すっごいでっかい会社の社長さんだった。

 

「ボクが間違っていた」

と言える人ってカッコいい。

 

そういうカッコいい人って

社長になっちゃうんだよね。

 

~萩本欽一~

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB

619F2FD8-CDFC-4E4B-9EB4-AE5BA00698F8

【招待状】

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず、いつからかその少年を毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。

他の子に違いない。先生はそう思った。

二年生になると

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

(思わず涙する感動秘話より) 

 
32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB


北野武


親から金をもらうのが当然のことのように

思っている。

親もまた、ねだられれば、

子供にすぐ小遣いをやる。

だから我慢ということを知らない。

その上、みんなで意見を言いましょうなんて

とんでもないよ…

昔は「 嫌なら止めろ 」だったんだ。

「 まずきゃ食うな 」とかさ。

だから、あらゆることで下品なやつばかり

増えたんだ。

品の良さっていうのは、とりあえず腹に

収めちゃうっていうことだろう。

まずいなと思っても、ちゃんと食って、

それでもほんとにまずいなら、

食わないってことだけだった。

それが、いろんな難癖を付けるようになった。

なまじの中流ってのほど下品なものはないね。

金があると下品なことをやりたがる。

金さえ出せば手が届くように見えるのには、

我慢できずにすぐに手を出してしまうんだ。

要するに、中流の奴らが金で品を買おうと

して、いろんなブランド商品を買っていきて

自分に品をつけようとした。

それは大きな間違いだったんだ。

買うんじゃなくて、

買わないことでしか品は得られない。

修理した車だとか、修理した靴だとか。

修理品を持っていて、なおかつそれなりの

雰囲気を持たない限り、

日本はいつまでたっても文化的には、

立ち遅れたままだな。

車を買いかえなかったりすれば、

経済は停滞するだろうけど、

品だけはかっちり出る。

引用:ビートたけし

「 みんな自分がわからない 」

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB

32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB

D1E14C01-976C-4323-8782-17813362A6A3


「人の悪口を言わない理由」

松井秀喜

このお話は作家の伊集院 静さんが書いた「松井秀喜の美しい生き方」の中のお話です。

伊集院 静さんは直木賞や柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞など数々の栄誉ある賞を受賞しています。また、近藤 真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などの作詞も手掛けています。
 
 
ある日、伊集院 静と松井秀喜の対談が某出版社の企画で組まれました。

この日がお互いの最初の出会いの日だったそうです。この日を境に、伊集院 静、それに彼の奥さんと松井秀喜の交流が始まります。

この日のインタビューで、伊集院夫妻はすっかり松井秀喜の人間性にまいってしまったのです。

ちなみに、伊集院 静の奥さんは、女優の篠ひろ子さんです。

その対談は、最初のうちは当たりさわりのない話題から始まりました。
 
 
「野球は何歳くらいから始めたの?」

「将来メジャーリーグでプレーしたいという気持はあるの?」
 

松井秀喜の誠実な受け答えに、伊集院 静はじめ周囲の出版社スタッフも、すっかり彼に好感を抱きました。

その後もいろんなやりとりが著書に記されています。

しかし、私が最も松井秀喜の人間性を象徴していると思ったのが、次のやりとりです。
 
 
伊集院
「君の周囲の人から聞いた話だけど
 君は人の悪口を一度も
 口にしたことがないそうだね」

松井
「野球選手になろうと決めてからは
 一度もありません」
 
 
まさか、という気持もあり、確かめたい気持もあり、伊集院は再度同じ質問をします。
 

伊集院
「一度も人前で
 悪口を言ったことがないの?」

松井
「はい、ありません」
 
 
ここで、伊集院は、目は真剣だけど気負いのない松井の態度に、少々遅れを感じたのか、少し離れた場所で二人の話を聞いている奥さんの表情をうかがいました。

奥さん、篠ひろ子は驚いたようにうなずいて、目でゆっくり語ったそうです。
 
 
「その若者は真実を話してるわ」
 
 
雑誌の編集長もカメラマンも同じように驚いた表情をしていたそうです。

対談が続きます。
 
 
伊集院
「どうしてそうしているの?」
 
 
それに対する松井秀喜の受け答えこそが、彼の人間性の全てを物語っていると思われるのです。

松井の、その言葉に対し、そこに居合わせた全員が水を打ったような静けさに陥りました。

伊集院からの質問に対し、松井はこう答えています。
 
 
松井
「父と約束したからです。

 中学2年生のとき
 家で夕食をとっている中
 僕が友だちの悪口を言ったんです。

 すると、父が夕食を食べるのを中止して
 僕に言ったんです。

 人の悪口を言うような
 下品なことをするんじゃない。

 今、ここで二度と人の悪口を言わないと
 約束しなさいと…。

 それ以来、僕は人の悪口は言ってません」
 
 
父親が息子の悪い所を叱り、息子が素直に謝った。どこにでもある一般家庭の光景ではあります。同じようなことは、当然ながら私にもあります。

松井親子の場合、どこがどう普通の家庭と違っていたのでしょうか?
 
 
この日を境に、一切人の悪口を言わない松井秀喜という人格が形成されていったのです。
 
 
この後、伊集院からこんな質問もあります。
 
 
伊集院
「ところで松井君はそれでも
 悪口を言いたいときはないのですか?

 例えば、君のバッティングフォームに
 ついてけなされた時とか・・・」
 
 
松井
「言いたい時は・・・」
 
 
そこでしばらく黙った後、
 
 
松井
「山ほどあります」
 
 
そう言って、松井はニヤリと笑ったそうです。

そして、そこにいた全員が笑い出しました。
 
 
その日の対談が終わり、帰りの道すがら、伊集院と奥さんは、行きつけの鮨屋に立ち寄りました。
 
 
奥さん
「私、感動しました。

 あんな素晴らしい若者が
 まだ日本にいたんですね。

 この国は大丈夫ですよ」
 
 
興奮して語る奥さんを見て、鮨屋の主人が言いました。
 
 
主人
「どうしたんですか?奥様。

 まるで恋をしたみたいな言い方ですね。

 そんな素敵な人に逢われたのですか」
 
奥さん
「はい、今日ジャイアンツの
 松井選手に逢ったんです」

主人
「それは良かったですね。

 私も松井選手を球場でみましたが
 あの人は特別だ。

 他の選手とはまるで違います」
 
 
普段は無口な主人が大声でそう言ったそうです。

伊集院 静や奥さんの篠ひろ子、それにこの場に居合わせた鮨屋のご主人が認めるように、その後の松井秀喜は特別の選手として、また人間性においても一流の選手として成長していきます。

国民栄誉賞まで受賞するような一流の人格に育つとは、この時点でまだ誰も想像していませんでした。
 
 
引用元:角田書店「逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方」


32D723D6-D3B1-4AEF-85E2-67C4F9652BAB
 

このページのトップヘ