カギセンター片平のつぶやき☆鹿児島でカギのことならお任せください!!

カギセンター片平の日常と、お役に立つ情報をお伝えしていきたいと思います。 ホームページもリニューアルしました。 是非、のぞいて見てくださいね!

2019年01月

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昨日は南薩方面に行ってきました~
緊急の依頼です!!

お客様は遊技場(パチンコ屋さん)だったのですが、金庫の開錠ができずにお店を開けられないとのこと…

それは大変!!

すぐに駆け付けさせていただきました

お客様が営業できないリスクは大きいですものね!

すぐに開錠し、壊れているところも直させていただきました。

開錠できると同時に無事お店もオープン!!(*^^)v

「いろいろなカギ屋さんに連絡して頼んでみたのですが、どこも『うちではできません!!』と断られまくって、どうしようかと…途方にくれていました。そんななかですぐに来ていただいて、開錠できて本当に助かりました!!」

「金庫があかないとお店を開けられない…商売するなかでこれほど困ることはないです。実際、昨日は店を開けることができなかったんです。何日も(お店を)閉めておくわけにもいきませんものね」

…お客様にとても喜んでいただき、仕事の充実感を味わわせていただきました。

自分の仕事がお客様のお役に立ち、喜んでいただけることは、本当に幸せだと感じます…

私の仕事の中では住宅等の鍵はもちろんですが、金庫等の鍵も取り扱っております。


事業所用の大型金庫から、家庭用金庫まで修理だけでなく設置等のご相談も承っております。

豊富なキャリアを生かし、皆様のお役に立ちたいと思っております。

どこに聞いたらいいかな~?というような小さなことでもご相談くださいね!

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昨夜TVを見ていたら、本田美奈子さんのことをやっていました。

久しぶりに彼女の声の「アメイジンググレイス」を聴きました。

闘病生活は大変だっただろうと想像しますが、周りに心配や迷惑をかけないように心を配っていたことが彼女の記録したノートでうかがい知ることができました。

短かったけど、素敵な人生だったと思います。

本などで、人生は長さではないと読ませていただいたりしますが、彼女の死は今でも、周りの人たちの悲しみは大きいなと思いました。

それと同時に、人の心に残る生き方をした人は、肉体がなくなってもいろいろな人の心の中で生き続けられるものでもあるのかなと思います.。

久しぶりに、可愛らしい本田美奈子さんに再会できた夜でした…

 
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(画像はネットより)

自分の価値観を見失うと
「つまらない」感覚が全身を支配します。

つまらない感は思考も行動も逃避的になります。

「つまらないから考えてもしょうがない」

「面白くないからやらない」

自分がエネルギーロスになっていることに気づかずに
みんなとほどほどにやっていればいいだろうという考えが固定化されていきます。

みんなと同じことをやっているだけで、
安心感を得られる、共感を得られると思い込むのです。

表面的に群れて楽しそうにしている人のなかにも
実際には「楽しくない」と思っている人もいるかもしれません。

自分の「快」「幸福」の価値がどこにあるのか、
何を考え、何をしているのが楽しいのか。

自分の価値観を見失わないことは
「人と違う」生き方に幸福の価値を見出すことができるということです。


(整心塾)


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小林正観さんのお話から…

小林正観さんの娘さん、慶子ちゃんは身体障がい、知的障がいの両方を抱えていました。

小林正観さんの言葉を借りれば、
「この子は、努力もしなければ、頑張りもしない。才能も空っぽ。
人間は努力しなければ価値がない、という視点で見ればこの子には価値がありません。」

そんな慶子ちゃんですが、小学校六年生の三学期の通知表に、校長先生が『六年生全員の中で、慶子ちゃんほど心を込めてありがとうをいう子は他にいませんでした。』と書いてくださいました。

彼女は「ありがとう」を言うときに、

 

背を立てて言うことはないんですね。

ペチョーッと90度まで、腰を曲げて 

お辞儀をするんです。

 

しぐさがとってもかわいいんですけど、

 

この子が90度まで体を折って「ありがとう」って言う姿は、

 

本当に美しくてかわいいんですね。

 

我が家で一番美しく「ありがとう」って言える人です。

 慶子を見ていると、

 

この子は、人間が生まれながらにして持ち合わせている

 

優しい心を呼び起こすために

 

生まれてきたんじゃないだろうか、

 

と思います。

 

彼女は、ただひたすら、

その役割を果たすために、存在しているかのようです。


この子ができることは

 

「ありがとう」って言ってニコッとする、

 

ただ、それだけです。


 その笑顔を見せることによって、

 

クラスの子どもたちは、

 

みんな優しい子どもたちになっていた。

 

同時に、この子と一緒に過ごしている小林家の人間も優しくなりました。


この子は価値がないんですか?

そうじゃないですよね。


常識からすると、

 

何かを為しとげたり、

 

成績を上げたりすることが、

いいことのように思われています。

もちろん、それも尊い才能ですが、

 

その人が存在していること、

その人その人であることが、

 

周りをものすごく温かくし、

穏やかにし、笑顔にする、

 

そんな存在の人もいるのです。

人間の価値というのは、

 

ありとあらゆる視点に立てば、

 

実に多様に存在しているのであって、

 

努力することを好むのも良いですが、

 

努力だけが価値ではないでしょう。

基本的に、どのような形でいてもいい。


全ての人は、存在するだけで価値があるのです。

 能力者じゃなくてもいい。

 

すごい功績を残さなくてもいい。

 

ただ、そこに、

あなたがあなたでいてくれるだけで いいのです。

(小林正観)

 

 

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夜回り先生


よく薬物の専門家たちは「真面目な子ほど、薬物を真面目に使って死んでいく。

心に傷がある者ほど、その傷を埋めるために必死に使って死んでいく」と言います。

マサフミもそんな少年でした。

マサフミがいなかったら僕は薬物と闘っていなかっただろうし、ある意味では幸せだったかもしれない。

彼は高校生の入学式にもシンナーを吸ってくるほどの依存症で、僕が夜回りで見つけた時も、夜の公園で空き缶を使ってシンナーを吸っていました。

なぜか最初から気が合って、その日、空が明るくなるまで語り合っていました。

彼は幼い頃に暴力団抗争で父を亡くし、以来母親と2人で6畳1間、風呂なし、トイレ共同の木造アパートに住み、貧しいながら幸せに暮らしていました。
 
母親思いでね、小学校の時は学級委員をやるほど真面目で優秀だったそうです。

ところが、5年生の時、母親が過労で寝たきりになり、生活が一変してしまう。

電話、電気、ガスは止められ、食べ物にも困るようになった。
 
マサフミはコンビニを1軒1軒回り、「僕の家は貧しいから、捨てるお弁当をください」と頼んで歩いたそうです。

ほとんどが「余ったお弁当は業者に戻さなければならない」と断る中、遠くの町にある1軒だけが、

「弁当を戻すのは午前2時だよ。

そんなに遅くに来られるかい?」と言ってくれた。

その日から午前零時に家を出て、捨てる弁当を貰いに行きました。
 
しかし、親子2人、当然弁当1つでは身が持ちません。

マサフミは給食のおばさんに「公園の犬に餌をやるから」と嘘をついて、余ったパンと牛乳をもらうことにしました。
 
ところが、子どもたちは敏感です。

彼が給食の余りをもらっていることはすぐに同級生に知れ渡り、それから猛烈ないじめが始まった。
 
 
一番辛かったのは、帰り道に公園に連れていかれ、せっかくもらったパンを地面にばらまかせ、ことごとく踏みつけられた時だったとは言っていましたね。

そんな状況を見かねて助けてくれたのが、同じアパートに住む暴走族でした。

暴力で同級生たちを抑え込み、マサフミは6年生からその仲間となった。

母親は「息子が暴走族になったのは自分が病に倒れ、貧しい暮らしをさせたせいだ」と自分を責め、自分を責める母親を見るとマサフミはますます辛くなった。
 
そこから逃れるためにシンナーに手を染めていったのです。

公園で会った次の日、学校へ来たマサフミは僕の顔を見るなりこう言いました。

「先生、俺シンナーやめるよ。

昨日からいろいろやめ方を考えたんだけど、いい方法を思いついた。

先生と一緒に暮らしたら吸えないよな」

「そうだな。

いいよ、今日から家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、

「もうシンナーやめられた。

母ちゃんが心配だから家に帰るよ」と言って帰っていく。
 
しかし、2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、

「俺、また使っちゃったよ。

体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた・・・。

先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、きょうから家に来い」

そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、

「もうシンナーやめられた。

母ちゃんが心配だから家に帰るよ」と言って帰っていく。

しかし2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、

「俺、また使っちゃったよ。

体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた・・・。

先生、俺のこと嫌いになる?」

「いいよ、しょうがないよ。

また明日から家に来い。

焼き肉してやるよ」

そしてまた僕の家に来る、その繰り返しでした。

 
6月も下旬を過ぎた頃、授業を終えて職員室に戻ると、マサフミが新聞の切り抜きを持って待っていました。

「俺、やっぱり先生じゃシンナーやめられない。

この新聞に載っている『神奈川県立精神医療センターせりがや病院』ってところは、シンナーや覚せい剤をやっている10代の子を治してくれるんだって。

連れて行ってよ」

僕はカチンときました。
 
こんなにしてやっているのに、俺じゃダメだって言うのか、そう思うと、腹が立って仕方がなかった。

だから、その日僕は冷たかった。

「分かった。

連れていってやるよ。

でも今週は忙しいから来週だ」

そう答えると、マサフミは「きょう先生の家に行っていい?行っていい?」とまとわりついてきました。
 
でも僕は、その日は一緒にいたくなかった、だから嘘を言いました。

「ダメだ。

きょうは神奈川県警と山下公園の公開パトロールをするから、おまえを連れていけない」

そう言って、夜10時頃、彼を騙して追い返したんです。

マサフミはエレベーターホールへ向かって歩きながら、何度も何度も僕を振り返って、最後に一言叫びました。

「水谷先生ーっ、冷てぇぞ!!」

それが最後の言葉で僕はあのまま帰せばマサフミが「さよならシンナー」をやることは分かっていました。

友達に「俺、今度こそシンナーやめる。月曜日に病院に行くんだ」と言うと、「じゃあ最後に“さよならシンナー”やるべ」となることは予測できていたんです。

それでも僕は騙して彼を帰した・・・。

僕と別れて4時間後、6月25日の午前2時、マサフミはシンナーを吸って、フラフラと道路に飛び出し、ダンプカーに轢かれて即死しました。

シンナーの幻覚で、ライトが何かキラキラしたきれいなものにでも見えたんでしょう。

両手でつかむように飛び込んでいったといいます。

マサフミは僕が殺した最初の子です。

僕はもう教員なんてやる資格はないと思いましたね。

学校を辞める決意をして身辺整理をしていましたが、その時、あの日マサフミが持ってきた新聞の切り抜きが出てきた。

気持ちの整理をつける意味でも、彼を連れていく予定だった、「せりがや病院」の院長を訪ねました。

そこで院長に言われた言葉を、僕は一生忘れることができません。

「水谷さん、彼を殺したのは君だよ。

シンナーや覚せい剤は簡単にやめることはできない。

それは“依存症”という病気だからだ。

それをあなたは愛の力で治そうとした。

高熱で苦しむ生徒を、愛情込めて抱きしめたら熱が下がりますか?

『おまえの根性がたるんでいるからだ』と叱って下がりますか?

病気を治すのは、私たち医者の仕事です。

無理をしましたね」

返す言葉がなかったですね。

そんな僕にさらに院長は続けました。

「あなたは正直な人だから学校を辞めようとしているのかもしれない。

辞めないでください。

いま薬物が若者の間で急速に広がっているのに、それに取り組む教員が1人もいない。

われわれと一緒に戦いましょう。」

子どもたちは花の種です。

でもその花は決して夜の世界では咲かない。

温かい太陽の下でしか花を開かせることができないのです。

昼の世界が優しくして、自己を認めてくれて、受け入れてくれるならば、どの子が夜の世界へ行きたいか。

どの子がリストカットをするか。
 
本当はどの子も夜は温かい家で、優しさに包まれて、安心して眠りたいのです。

それを用意するのがわれわれ大人の仕事です。

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子どもを優しく認め受け入れる。

これが必要なのですね。

確かに依存症は、愛の力だけでは救われません。

でも、依存症という病気は治せても、愛の力がなければ、子どもは、安心できないんですね。

愛の力の重要性を改めて教えられました。

ぜひとも、これからもできるだけ愛の力を使っていきたいものです。

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